2007年04月29日

★高杉晋作辞世の句


面白き ことも無き世を 面白く
-----------------------------------------------

高杉晋作の辞世の句であると言われている。

私なりの解釈では
自分が目標をもって生きなきゃ、人生を楽しめないよ。
ってことだと思っている。
面白い の面は顔。
白い は昔は明るいってことを意味した。
顔が太陽(目標)に向かって明るく照らされている状態を
面白い という。
逆に
面倒だ は、顔が下を向いている状態。

面倒な世の中だけど、顔を上げて前を向いていこう!
とも読み取れる。

私は、面白く生きたい!悔いが無いように生きたい!
いくら失敗があっても、最後には目標を達成すると思っている。
究極のポジティ部である。


高杉晋作

1839年9月27日-1867年5月17日
日本の武士・長州藩士。
江戸時代後期、幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。
奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。

 1866年1月桂小五郎(木戸孝允)らと共に、土佐藩の坂本龍馬を仲介とした薩摩藩との軍事同盟である薩長盟約を結ぶ。5月には伊藤俊介(伊藤博文)とともに薩摩行きを命じられ、長崎で丙寅丸(オテントサマ丸)を単独購入。6月の第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として、幕府艦隊を退け周防大島を奪還。小倉方面の戦闘指揮では、序盤攻勢に出るも小倉城手前で肥後藩の猛攻に合い、一時小康状態となる。

しかし、幕府軍総督小笠原長行の指揮悪く、幕府軍諸藩は随時撤兵、7月将軍家茂の死去の報を受けた小笠原も戦線を離脱、事実上幕府軍の敗北に終わり、幕府の権威は大きく失墜し1867年11月の大政奉還へと導かれる事になるが、晋作自身は、直後肺結核のため桜山で療養し、1867年4月商家の林算九郎邸にて死去、大政奉還を見ずしてこの世を去る(享年27)。墓所は山口県下関市。なお、靖国神社に祀られている。
---wikipediaより----



Posted by 遠州ナビ山下隆宏 at 16:15│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
★高杉晋作辞世の句
    コメント(0)